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山口県下関市にある「忌宮神社」は 城下町長府の中心に位置し、古事記、 日本書記にも記されている伝統ある神社です。 仲哀天皇のお后である神功皇后をおまつりし、 文武の神(勝運の神)、安産の神、として 多く庶民の信仰を受けてきました。 かの足利尊氏も戦勝祈願に訪れ、感謝の句を 残しており、お宮参り、七五三、地鎮祭等のご祈願、 人生儀礼で多くご参拝いただいております。 8月に行われる「数方庭祭」は天下の奇祭として 広く知られております。 |

新着情報 |
12/04/30 トップページ更新しました。 |
毎月の行事 |
○1日 忌宮神社月次祭10:00
○3日 荒熊稲荷神社月次祭11:00
○第2日曜日 骨董市8:30〜 ※8月,12月は第3日曜日 11月は第4日曜日
※本年5月の骨董市は第3日曜日となります |
今月の行事 |
| ○13日 忌宮神社春祭 11:00
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安産の吉日 |
古来より戌と亥は安産、多産とされておりこの日にお祈願した祝肌帯をまくと無事に出産できると云われております
忌宮神社は安産の神さまとしてもよく知られております。是非ご参拝くださいませ
○戌の日 1・13・25日
○亥の日 4・14・26日
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数方庭祭は山口県無形民族文化財として広く知られております。
期間中は毎夜長府の七時より九時半頃まで数方庭の神事が行われます。
のぼり きりこ
太鼓の音に合わせ気勢を上げた後、幟、切籠が加わり鬼石を
廻っていく姿はチャンコホイホイドンパッパッのリズムも
軽やかに、初めは優雅に次第に勇壮に盛り上がっていきます。
旗ささげ我も踊らん若かれば 神の御庭に昔しのびて
という歌にあるように、老若男女が心をはずませ、天下の奇祭・数方庭は興奮のるつぼの中に没入していくのです。 |
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忌宮神社の起源 |
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当社は、第14代仲哀天皇が九州の熊襲ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮を興して7年間政務をとられた旧趾にあります。
天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出せられましたが、 1年にして崩御せられたので神功皇后は喪を秘して重臣 武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ、現在の 長府侍町土肥山に殯斂(仮埋葬)せられました。
そして皇后はご懐妊中ながら、熊襲を煽動していた新羅征討をご決行、ご凱旋ののち、天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭せられました。これが当社の起源です。
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忌宮神社の名称の由来 |
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神功皇后は新羅征討後、皇子をご安産になりました。 (後の応神天皇) 後に聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎し「忌宮」ととなえ、 さらに応神天皇をおまつりして、「豊明宮」と称し、当社は 「豊浦宮」「忌宮」「豊明宮」と三殿別立の古社(延喜式内社) として栄えました。
しかし、中世の火災により中殿の忌宮に合祀したために次第に「忌宮」の名をもってよばれるようになりました。 古来、文武の神(勝運の神)として歴朝の尊崇厚く、 また安産の神として庶民の信仰をうけており「二の宮さん」 (にのみやさん)とよばれ広く親しまれています。
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ご祈願について |
当社は長門国二宮として古来より、文武の神・勝運の神として、歴朝や武家の尊崇厚く(かの足利尊氏も祈願に訪れました)、また安産の神として信仰を受けてきました。 神社で行われる祈願は神様の御加護を頂けるように願いを求めるお祭りであり皆様におかれましても真心を込めてお願いを行うことが大切です。 |
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主な社頭祈願: 家内安全 交通安全 心願成就 病気平癒 七五三参り 初宮参り 安産 方除け 厄除け |
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神前結婚式、神葬祭関係、出張祭典等も行います。(要予約) 詳細はご祈願についてのページをご覧ください。 |

忌宮神社では各種お守りをご用意しております。 |
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・大事を成し遂げるためのお守りに
・大切な方への贈り物に
・厄除けや日々の生活に
霊験あらたかな当社のお守りを是非お受け下さい。 |


所在地・地図 |
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【所在地】
〒752-0967
山口県下関市長府宮の内町1-18
TEL:083-245-1093 FAX:083-245-9426
【交通】 山陽本線: 長府駅より バス6分 下関駅より バス20分
新幹線: 新下関駅よりタクシー 10分 バス: 城下町長府下車 徒歩3分 |
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下関市にある神社 延喜式内社 長門二ノ宮・旧国弊社 忌宮神社
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